2017/06/14

趣味は趣味でもホビーじゃなくて、あっちの方の趣味、つまり「趣味が良いですね」といったときに使われる、時折「センス」等とも呼ばれる方の趣味について思いを巡らせば、そりゃ良いに越したことはないんだけど、それってつまり「意識高い」なんかと同じく、はたまた中二的な「ワナビー」と同種の「ひょっとしてオレ天才かも?」に近い、とても悲しい概念ではなかろうかという考えが浮かんだが、それは気の迷いということにしてそっと本を閉じる。

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2017/06/08

お仕事を増やそうと画策し半年程踏ん張りましたら、それなりにお仕事が増えまして大変ありがたく思っております。
しかし、無情にも降り注ぐ年嵩攻撃の激しさに為す術もなく日々ぐったりとnetflixに取り込まれておりまして、中でも「Breaking Bad」は設定の無理筋を物ともしない演出で疲れ切った身体に更に鞭を入れてくれます。
世間は梅雨に入り、政治は混迷を極め、大阪の歩きタバコは減る気配を見せませんが、それにもかかわらず毎週の様にミサイルは飛来しておりまして、ソドム&ゴモラでシェイクイットベイベなキャッツ&ドッグでございます。
「お空の色はどんな色?」等と牧歌的なCMに代表されるお昼寝的日常生活はもう過去のものとしても、この国に「幼年期の終わり」が訪れるのか一抹の不安はあります。が、それはそれ、誰かが何かをやってくれると他力な本願を願いつつ久々の挨拶にかえさせていただきます。

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2017/02/05

ネットで田舎の不動産を検索すると「180万円の家」みたいなのが次々出てきて嬉しくなってきますが、実際に住むとなるとかなり苦労するのだろうなと負の空想に耽っています。

物の値段は意外に正直で皆が価値を認める物は高く、そうでないものは安いのですが、その傾向は不動産に最も顕著で駅からの距離100m単位で価格が変わります。そしてこれを田舎の物件に適応しますと180万円にまで下がってしまい、不便さは如何程なのかと恐ろしくなります。

ちょとした流行りで「老後は田舎で農業を」なんてのがありますが、農家の爺さんなんかの体つきを見て付け焼き刃では無理だなと随分昔に悟った私としましては俄に受け入れがたく諦めております。

田舎で暮らそうと都会の人間が思う時、そこに認めるのは「自然が一杯」みたいなお花畑だったりするのですが、実際には数世代に渡って開発された人工的な農業空間が広がっておるわけです。そして人工的でない本物の自然は人間を拒否しそこでの社会生活なんかは望めないのです。

明治の昔から始まった人口移動も終わりに差し掛かって田舎から移動できる人がいなくなった今、なんとかして一次産業を支えたいのは山々ですが、それはもう無理筋になってしまったのかもしれません。

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2017/01/31

昨日は所用で梅田まで行っておりました。帰りにちょっとビールと思って駅前ビルの地下に寄ったのですが、その安さに驚きました。半数ほどの店で生ビール190円、高い店で390円。食べ物は399円とか299円とか....
安いことは良いことなんですけど、何ていうかですね、「千と千尋の神隠し」で冒頭、食い物の虜になってしまう主人公の両親を思い出してしまって怖くなってきますね。
とか言いながら飲むんですけどね。

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2017/01/14

最近では「神対応」などという言い回しが流行していまして、まるで「神」という言葉が「プロ」ぐらいの意味合いで流通しているのですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
随分長い間、職業上の手腕を評価する時の最高位にあるのが「プロ」だった筈なのに、「プロなんだから出来て当たり前」の同調圧力に押され、気がつけば職を得た瞬間に皆「プロ」なのでそれ以上の位が必要になり「神」が生まれたというのが私の推理です。
基本的にはどうでもいい事ですが、この調子で例えば「神対応できて当たり前」の世の中がやってきた時、人々はどうするのかと考えると恐ろしくなって夜も眠れません。或いは「リングにかけろ」方式を導入して神概念のインフレを誘発し「ヤハウェ対応」や「シバ対応」「エビス対応」などに細分化してそれぞれの属性に応じた神概念が整備されるのかもしれませんが、先にも申した通り基本的にはどうでもいい事です。
まあ、色々なものに奇妙な名付けをして面白がってるうちは良いのですが奇抜なアイデアであればあるほど毒も強く精神文化に及ぼす影響も大きくなるような気がします。
そして何より、どんな名前を付けようと実体はまったく変わらない訳でして、それについては「鶏・卵」では無く明らかに実体の方が先にあるのですから一定の敬意を払う必要があると思えるのですがその辺どうなんでしょ?

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「よし、来年は頑張るぞ!」と元気よく昨年末に決意したのですが、年が明けたぐらいで性根が正されるわけもなく気がつけばいつもと同じ意識低い系の日常を送っておりますがそれなりに元気です。
どこかに線を引いてそれより上は高い、下は低い等と言い表しまして日常それで困ることは無いのですが、殊に自分事となりますとそれは仕事上の信用問題にも関わります故、おいそれと「オレは意識低い」等と言えないのでございます。
そこが意識低い系の辛い所でございます。これが意識高い系でしたら、まあ、何と言われようとも意識は高いわけですから解釈によっては自慢できる事柄ですし、仕事上もうまくいくと思うのですが、これが低いとなるといけません。ただひたすら低い意識を隠さねばなりません。
ですが流石に意識低いからといって「意識低いのでこの程度しか出来ません」なんてやってたのではお仕事も無くなりますから、低い意識で一所懸命やるのです。意識の高い人だったらサラサラやってのけることを低い人は歯を食いしばってやってるのです。その辺の努力については自負があって、時折「オレって意識高いんじゃないの?」と錯覚するほどです。
まあ、母親なんかからは「おまえはやったら出来る子や」と言われておりましたので、終ぞ、それを疑うこと無く生きてきたのですがその言葉のほんとうの意味を理解していなかったのです。つまり「やれば出来る」は「やらないと出来ない」でして、こともあろうかそれを単に「出来る」とだけ解釈して信じておったのです。これはバカです本当に悔やまれます。
ですが低い意識は中々治りませんし、今更、高い意識に引き上げるぐらいでしたら低いまま努力したほうがマシですので死ぬまでこれで行こうと決めています。そして低い意識は段々と薄れて最後には意識無い系に移行します。それまでこのまま歯を食いしばって生きていきます。

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2016/12/21

世代間の格差や、最早格差を通り越して断絶みたいなってることを嘆く時に薄っすら顔を出す民族の統合性については用心して掛からないといけないなあと思うことがあります。

そもそも、年寄りは「今時の若いもんは」と発言することで憂さ晴らしをしているだけで、そこに何ら正当な根拠など無いのだし、逆に若者が年寄りを煙たがる事も同様で、その両者の間には時間軸のズレが幾らか存在しているだけで基本的には同一人物なのです。

そこの所に何の能も無い白痴メディアがつけ込んでアレコレ飯の種を探してるだけなのですから、聞いてるものは「ああ、またなんか言ってるな」ぐらいの対応で良いはずですし、現に皆そのようにしているのです。

とまあ、ちょっと苛ついてますがついでにもう一つ。

「国民が一致団結して」等とありふれた煽動活動に耽る輩がおりますが、この国は団結しなければならない程バラけていないのです。それどころかこれ程団結して物事に当たる人々は珍しいぐらいなのです。まさに問題の根源はその負の側面にあって、つまりもうチョットバラバラの方が良いんじゃないかとさえ思えるのです。

という訳でイライラは修まりましたのでこれで終わります。

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2016/12/20

「これがあなたのマイナンバーです」という言い回しがどうにも気になってついつい夜更かししてしまう昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。
上記、マイナンバーと共に気になる言い回しとしまして「自粛してください」というのもあります。こちらの方は既に一般化していますので何となく受け入れてしまってますが、本来「自粛」とは自ら思い立って粛む事であるはずなので、他人から言われて粛むのは自粛とは言えないのではないでしょうか。
日本語にありがちなこういう所有格や主格の混乱に民族性が絡んでいるんじゃないかと随分前から疑っています。どちらかと言うと変化に乏しい個人生活への閉塞感が、社会の多様性を拒んだり、或いは過度に受け入れたりするスキゾな言語空間を作り出し民族総体としての統合性を阻害しているのでは? 等と筋の通らないことを考えているのです。
非常に意地悪な例えをすると「これがあなたのマイナンバーです」が受け入れられるなら「これが私のユアナンバーです」も通用する筈だと思うのです。

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パック焼酎の黒霧島にトマトジュースとソーダを注ぎ、かき混ぜると爽やかなカクテルとしてゴクゴク飲めるので、これに「赤と黒」と命名したのですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
スタンダールの「赤と黒」を読んだんだのはいつの頃だったでしょうか?確か二十歳前後だったと思うのですが、暇を持て余したマダムに若い貧乏学生が取り入るといった話で当時の私には何のことやらピンと来なかったのです。読後の感想も「どうでもいいし」って感じで深く興味が持てず、それ以来読み返すこともありませんでした。ですので、まさか自作のカクテルにその名を流用するとは思いもよりませんでした。
それはともかく、私の体にはトマトジュースが合ってるようで飲むと頭がスッキリいたします。いつも申し上げてる通り、普段から濃い霧が掛かっていて今ひとつはっきりしない「ボンヤリさん」なのですが、トマトジュースを飲んだ瞬間だけは聡明で「ホーキング博士、わかるわぁその気持」と言いたくなるのです。
しかしその「赤と黒」には焼酎が入っておりますので、暫くしますと普段よりも更に濃い霧に包まれて、換気扇に吸い込まれて行くタバコの煙を虚ろな眼差しで見つめる事になるのです。
「電球色に透かしてみると副流煙は青く、一旦吸い込んだ煙は何処となくアンバー色なんだなぁ」

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「ああいいね」と人が感じる時、脳みその表面に自ら降り立って、二本の足でいや脚で立ち、無数のシワに向かって「お前たちのことなんか随分前から知っているのだ」と反抗にも見える激しい同意を表した後、あふれる髄液の洪水に巻き込まれたのだとしたら、なぜ人類はこの様にサカナの心を忘れてしまったのか、その一端でも思い出せるはずである。
でもね、仰るようにコンクリートジャングルの中には金属のメタルであるところの鉄筋や鉄骨がある種の不純物として混ざっていて、それが例えば中央図書館だったとしても、或いは師走に走る師匠だったとしても、病名の分かった病気をその病名通りに実行することはないよと語った談志師匠の思い出には換えられないのだと思うんですよ。

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